私の眼日記③ ―交通事故と入院生活―

私の眼日記③ ―交通事故と入院生活―

皆様、こんにちは。

台風が次々と日本及び周辺を通過しておりましたが、大丈夫でしたか?

まだしばらくは台風が発生する季節ですので、十分な対策と備えをお願い申し上げます。

 

さて、前回は私が小学校時代に眼科さんで受けた、印象に残っていた測定方法のご紹介でした。

今回は 当店でも設置されている最近の視力測定器をさら~っと御紹介させて頂きますね。

 

昔は仮の枠に一枚ずつレンズを入れて「見えやすくなった」「見にくくなった」というお客様のお答えにより、見やすい度数を探していく方法が主流でした。

それから基本は変わっていませんが、お客様の負担が大きく、時間もかかってしまうためお店が混雑するとお客様をお待たせしてしまいます。

そこに現れたのがオートレフラクトメーター(写真①②)と言う機器で、そのお客様の大まかな必要度数を瞬時に測定できる機器です。

写真①
写真②

 

さらにフォロプター(写真③④)という機器が生まれ、より精度が高く、より多くの測定法で必要度数を把握できる様な時代になりました。

 

写真③
写真④

 

視力表もクッキリ・ハッキリ、小規模な設置スペースでも正確に測定できるものが開発されました。(写真⑤)

写真⑤

 

これにより、お客様も私達お店側も格段に負担が少なくなりました。

しかしそれだけに頼るわけにもいきません。

私達社員がいつも勉強して進歩し続ける「金剛流測定」は今後もきっちりと行なっていきますのでご安心くださいね。

 

 

さて、私の眼日記・今回のお話は、私がこの職に就くきっかけとなった事件の前書きになるバイク事故のお話です。

少々聞きたくないショッキングな言葉が出てくるかもしれませんが、第1回で少しその内容に触れていましたのでどうかお付き合いください。

 

あれはそうですねぇ~…、今から約37年程前の、私が18歳だったときの話です。

その年の5月25日、車の免許を取得するために友人と自動車教習所に通っていました。

その日の教習が終わり帰宅しようとした時に、電車の待ち時間がかなりあることに気づきました。

田舎のことですから、私達の地域の鉄道といえばJR(和歌山)線のみがの運行がされていました。

1時間に1本ぐらいの運行時間で、教習所の近くには時間を潰す場所もなかった時代です。

そんなとき、中学時代からの友人がバイクで自宅まで送ってくれることになりました。

そこで断っておけばよかったのですが・・・、

しかし、そのことが今後の私の人生の転機だったのかもしれませんね。

 

高校を卒業して、受験勉強から開放され少し気が緩んでしまっていた時期。

初夏の蒸し暑い夕暮れでした。

私達は、違反行為をしてしまったんです。

それはバイクと言っても原付バイクの荷台に二人乗り、その上ノーヘルでした。

地元の町まで戻ってきてもうすぐ自宅に着くという時、ちょうど少し勾配がある場所の頂上付近、そこの国道を横切ろうとしました。

傾斜の為に車のライトが上向きになって光が上の方を照らしていたため、友人は車が近づいている事が分からずに一時停止せず道路を横切った様です。

あとから事情を聴いた話でしたが驚きました…!

警察の説明では、私達が一方的に悪く自殺行為だとまで言われました。

 

そして、私たちのバイクと車が側面衝突しました。

友人はバイクのハンドルに掴まっていたのため捻挫のみの軽傷。

私は跳ね飛ばされて国道の脇の地面に叩きつけられ、右の足首の上の腓骨脛骨の複雑骨折(骨が皮膚を突き破って外まで出ていたそうです)&肋骨3本骨折でした。

幸い、ノーヘルだったにもかかわらず頭部は強打していなかったので命は助かりました。

しかし顔面から落ちたらしく、かけていた眼鏡の左レンズは粉々に割れていたそうです。

事故直後は不思議と痛みは感じませんでした。

ほとんど意識がなかったからでしょうか???

しかし事故当時、記憶にはありませんがはっきりと住所・氏名・電話番号などは警察に伝えていたそうです。

それから救急車で運ばれ地元の医科大学付属病院の分院に入りました。

全身の検査後、骨折した骨を接ぐための金具を入れボルトで固定する緊急手術になりました。

これが、人生初の手術&入院の始まりでした。

 

肋骨骨折は「ベッドで入院期間中大人しく寝ていれば勝手にくっつくから・・」と何も処置はありませんでした。

(外科の退院時には記念にと先生が身体の中に入っていた金属プレートとボルトを下さいまして、今でも自宅のどこかにあると思います(^O^))

外科手術の翌日に麻酔から目が覚めた時には、脚にギブスを巻かれた状態で4人部屋の一角に放り込まれていました。

 

4人部屋の中の年が近い者同士、私と17歳・19歳の3人で仲良しになりました。

いずれも事故で怪我をして入院してきた者として、外科病棟内では『やんちゃ悪ガキ3人衆』として看護士さん達からも目を付けられるようになりました。(汗)

若かりし18歳なので、安静期間が過ぎると病室から出て動きたくて仕方がなくなります。

ギブス(底には歩きやすい様にかかとも作ってくれた時代でした)と松葉杖をつきながらも、時間があれば3人で行動を共にし、病院内でよくいたずらもして看護士さん達から怒られていた事も思い出します。(>_<)

この時期はその後のどん底の辛さが訪れるとも知らずに・・・・・

 

病気ではなく怪我での入院でしたので、不幸の中でも楽しく過ごした入院生活でした。(=^・^=)

 

怪我の程度の軽い者から退院していくので、私の場合は手術から退院まで約3か月程の入院でした。

先に17歳の子が退院した後、その次に私が見送られながら思い出の詰まった(?) 外科を後にし、自宅でリハビリを兼ねて後期の学生生活復帰の為に療養していました。

 

19歳の先輩は重い脚の怪我で何度も手術をしなければならず、当分退院は難しそうな様子でした。

後に噂でお聞きしたのですが、退院後は義肢装具を作るお仕事に従事されているとのことでした。

 

療養をしている最中、左眼に突然異変が起こりました。

朝起きてみると、いつもの見え方と明らかに違ったおかしな世界になっていたのです。。。(>_<)

交通事故の後遺症か、或いは元々の強度近視が影響していたのかは判りません。

眼鏡のレンズが割れていた方の左眼、その様子がいつもと違っていました。

 

これが、今後の私の人生に大きな影響を及ぼすキッカケになったんです……

 

続きは、次回のBlogにて (^_-)

次回は、私の近況として第二回の無線のお話も交えてのBlog記事にしてみたいと思います。

お楽しみに・・・(^_^)/~